a casual discoveryめにゅ |
花田なちゆの人となり
HN→花田なちゆ(ちょっと改名しました)
この頃とっても考える人です。 久しぶりに脳が文学チックになっています。
|
日記過去ログ たりらりだいあり |
鑑賞日記 ・主にビデオ日記 |
塾の苦渋 ・昔の残骸 |
文学あれこれ ・昔の残骸 |
---|---|---|---|---|
テキストと写真 ・若き日の戯れ |
もの思う私ログ ・由無し事 |
掲示板 ・交流板 |
りんく | |
キリ番のご報告 ・昔はしてた |
「不協和音」 ・初めての創作 |
へっぽこリネ日記 ・そろそろ潮時 |
管理人にメール |
1/19
遠くに聞こえる除夜の鐘。部屋の中はストーブと加湿器の湯気で暖かい。
テレビでは、今流行りのお笑い芸人が「あけましておめでとう」と言いながら、
裸になったり熱湯に入ったりしてはしゃいでいる。はしゃいでいる、というよりは
仕事だから体を張っているだけなんだろうけど。お正月のどんよりとした倦怠感漂う
テレビ番組は、何のために存在するのだろう。
「あ」
今おなかを蹴られた。おなかの中にいる新しい命。おなかの中に自分以外の何かが
いるという感覚はやっぱり慣れない。産むということは、一度自分が死を経験するような
そんな行為のような気がする。私が死んで、この子が生きる。
「どうしたの??おなか痛い?」
「ねえ、名前ね」
そういって頭をなでてくれる暖かくて大きな手。こんなにやさしい人はいないと思う。
私が穏やかで入れるのはこの人がいるから。蓮の契りという言葉を思い出す。
私が死んでこの子が生まれる。
私が今まで生きてきた「来し方」は正しかったのだろうか。そしてこれから生きる
「行く末」は正しいものなんだろうか。今おなかの中にいる子はまだ私のおなかという
蓮の台にいるのだ。私が死んでこの子の人生が始まる。これからの人生がよいものであるように
108の煩悩はおなかの中に置いてきて。幸せでありますように。
■解説■
えーと、ショートストーリーを書いてみました。フィクションですよ。別に私妊娠してませんし
となりで私をなでてくれる男の人もいないですしねw
蓮の台という言葉も好きです。昔の人は、今自分の生きている世の中を
「仮の世」と思っていました。死んで生まれ変わる世界こそ極楽浄土で、
自分の生きる世界であると。蓮の台は、死んで極楽浄土に生まれ変わった人が
転生する場所のことです。まだ生まれていない子どもは蓮の台で死んで
この世に生まれてくるのでしょう。死と生は隣り合わせです。
人は生きながら死に、死にながら生きるのでしょう。
蓮の契り、というのは生まれ変わってもまた一緒になれるという深い運命のことです。
ロマンチックなこの言葉、大切にしたいですね。
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||