10月の日記



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「泣いた」
10/30

今日の私ったらカリキュラムも書かないで
ぷらーりぷらりと遊んでいましたよっ。
しょうがないから今から何枚か書くよ。

という訳で、私は今日テレビを観ました。
今回のドラマで観てるのありますか??
私は「さよなら小津先生」を観ているのです。
もういっこの小学校の先生のやつは観てないけど。
金八先生も観てないけど、小津先生は観ているの。
理由は、「高校が舞台」「とりあえずバスケ絡み」
これだけの理由で観ています。

今日はテレビを観て泣きました(。-_-。)ポッ
だってー、バスケ頑張ってたんだもん。
友情だったんだもん、我慢できなかったよ。

キョウノテレビヲミテ、コウコウノセンセイニナリタクナリマシタ。
ゼヒ、コウコウノセンセイニナッテ、バスケヲオシエタイデス。

気持ちがこもっていないから、カタカナな訳ではありません。

でもなー、実際学校モノのドラマって嫌なんだよねえ。
だって変に熱い俄か「先生」でてくるでしょ?
じゃなくても人が余ってるこの業界、これ以上人が増えるのは
競争率が高くなるから嫌だよ。

追伸:決してテストに受からず拗ねているのでは・・・(涙)


「苦しい」
10/29

私は一人っ子だ。
だからわがままだ。
そう、わがまなんだ・・・(涙)

というのはさておき、カリキュラムです。
はっきり言って辛いです。
だってさー、高3とか受験生がごっそりでさー。
何か私も受験って気分になっちゃうしさー
個別だから生徒の萎え具合とかびしびし感じちゃうしさー
えへへへへ。

この頃「本当に私に勉強を習っていてこの人達は大丈夫?」
なーんて思ったりする。いいんだろうか、私が教えてて。
私って受験戦争に負けまくりの女だし、
大学入試だって失敗してて、結局編入だし。
過去問題持って来られても難しいし。
解けたら受けるって、大学。

中堅私大ならいいんだけどさー、国公立とか上位私大とか?
本当に自信がない、問題が怖い。
でもなー、向こうは「先生」って思っているわけなんだし
不安にさせるわけいかないし。

この葛藤はいつまで続くんだ?はあぁぁぁ。


「モーターショーだったよ」
10/28

はお!モーターショーに行ってきました。
ううむ、何か二年前のほうがザッツエンターテイメントだったよ。
なんて言うの??地味っていうか、そうっ。地味。
初日だったから姉ちゃんに群がるヲタを見れるかなって
とっても楽しみにしていたのに、そんなんでもなかった。

でもねー、写真撮ってきた。
デジカメじゃないから画像アップできないけど、
自分とか自分とか自分を撮った。
あと、お姉ちゃんとヲタ。
一人とびっきりのヲタ見たけど、さすがに写真撮れなかったなあ。

Tシャツがのびきってて、しかもパンツにinしてて、
多少老けておられて、お姉ちゃんと2ショットだった。
すごかったから彼氏に「あれはすごいよ。」って教えてあげた。

とりあえずピッチで写真撮ったやつだけ。


にしても、車ってすごいねっ。
私もいつか欲しいパジェロioに乗ってみたけどね、
いいわぁ。うっとりって感じ。
みんな老いも若きも男も女も、車に群がって
我よ我よと車に試乗。ハンドルを握る。ちょっと笑う。
そして値段を見てため息つくひともいれば、
係員に話を聞いて購入予定と思われる人も。

各ブースのお姉ちゃんも様々。
仕事とはいえ、大変だなあ。
感心感心。

何でも仕事は大変ってことだね。


「明日は東京モーターショー」
10/26

明日は東京モーターショー。
二年前も行ったし、実は今回も行くとは思わなかった。
でも行けるんなら行こうかなあという感じ。

二年前は、とにかく会場の嫌な熱気に大興奮。
ちょっとオタクちっくな男性が、お姉さんを激写(一眼レフ)
たいそうあやしい男性が、お姉さんを激写(ビデオ)
その男性陣を見てニヤニヤする私と、
彼女連れでうきうきの彼氏。

私「あっ、見て見て!パンチラ激写中の男発見」
彼「ああ、ほんまやなあ」

そういうのはいいから、とにかく車見ろよ、私。
今回の楽しみは、やはり一般公開初日ってことで、
やっぱりみんなの激写具合の観察かなあ。
しかも今回は激写している人たちを、私が激写する危険性大。


「ああ、やったね☆」
10/25

昨日ですね、家でまったりしていたら彼氏からメールで
「10000hitおめでとう」と知らされました。
自分で踏むのが怖いので、しばらく放置していたのですが、
いやあ、めでたいです。

特に「アクセスアップ」を狙っていたわけではなく、
駄文に駄文を重ねて一年半、一万達成ありがとう。

最初、「何か祭りでもしようかな」って思ったけど、
別にネット上で一緒に祝ってくれるようなサイトも
私を慕ってくれる人もいないので(笑)、やめました。

でも折角だから何かしたいなあと思っており、
だからと言って企画力も無いのでこの頃の私のブームを。

NHKの深夜にやってるドキュメンタリー
裏日記の更新(別サーバー・本サイトからの直リン無し)
裏サイトの更新(別サーバー・本サイトからの直リン無し)
面白いサイト探し。
就職活動(嘘)
某掲示板覗き

なんだかどうしようもないですね。
ごめんなさい。


「すげえ女だよ(途中経過)」
10/24

えーとですね。昨日某君のテスト対策で
かの大先生、森鴎外氏の大作(笑)『舞姫』の
現代語訳及び解説をすることになったんです。
でもね、高3でなぜかやりがちな、しかし難しい
この作品、私習ってませんっ(涙)

国語の先生が「これさあ、難しいでしょ?読むだけにする」って
内容は全然やらないで読んだだけで終わったんです。
今でこそ「泉鏡花」が好きで卒論しちゃう私なのですが、
擬古典文なんて、高校生の私にはさっぱりですよ。
だから今回現代語訳と解説っていったって
とっても初見♪な感じだし、おいおい、まじでできんの?
っていうのが正直な所です、あはははは

そんなこんなで「うええぇぇぇ、舞姫なんてやだよぅぅぅ」と
生徒に愚痴り「ぼくもやですよ」なんて言われながら
80分間の私の戦い(ずっと喋りっぱなし)が始まりました。

「うーわー、大田豊太郎ってナルシストだなあ」
「ウンテルンリンデンってうひょ、聞いたことあるぞっ」
「他の日本人仲間に嫌われてたんだって」

なんて自分の感想も交えながら「そろそろエリスじゃない??」と
わくわくしながら読み進み、やっと出会いの場面に。

ん?こんな話だったっけ??

散歩をしていたら、寺院の門の前で泣いていた少女。
ここで豊太郎、いやらしいまでの品定め

「ものごっつういい女だなあ」と思いながら
ナンパ

「お嬢さん、何故泣いているんだい??ここは道端さ
何も出来ないかもしれないけど僕に言ってごらんっ」
エリス、初対面の男に金の示談

そんなエリスを眺めながら豊太郎ったら
エリスのうなじばっかり見ている

なぜかとりあえず共にエリスの家へ。
エリス、話に夢中になっているふりをして
豊太郎に頭をもたらせて、わざとらしく気づいたふりして
離れたりする(絶対演技の確信犯)

この出会いの場面で繰り広げられる

生きるか死ぬかの騙しあい

豊太郎がエリスのうなじ見るところとか、
エリスがもたれかかって、のところはなんと生徒と二人で
かるーく実演してます(笑)いや、別にやらしい事はしてません。
私も生徒もそんなノリだったので、キャッキャ言いながら。
彼もかなり楽しかったようです(笑)
ちなみに昨日の私の呼び名は「花屋敷先生」でした(謎)

自分に惚れた方の負けです。
さて、どっちがどう負けるのでしょう・・・。
いや、舞姫の話ですよ(^.^;

とりあえず、また某君の授業があったら進みます。
そのときまた報告を・・・。


「かわいそうだとは思うけど。」
10/22

ここ一週間、ハワイ沖で原子力潜水艦と衝突して沈没、
多くの若い命を奪ってしまった愛媛丸事件についての報道。
行方不明者がどんどん見つかっているっていうこと、
本当に良かったなあ、って思えるけど、
家族のかたについてちょっと考えちゃったり。

私の父も実はアメリカ?はベーリング海で船が沈んで
死んじゃったわけなんですよ。船は上げてもらってません。
海流が早かったり、余りにも海が深すぎて
ワイヤーロープも無いし、
船体も大きなものなので、技術が追いつかないと。
うちのお父さんは運良く遺体が上がったんですがね、
21年、いまだ海の底って言う人が大半です。っていうか、
もう海に還っちゃったっていう話は聞きます。

うちの父だって、その航海が最期だったんですよ。
っていうか、航海の予定じゃなかったのに
急遽「この仕事はおまえじゃなきゃ」って言われて
行ったんですよ。本当は春から本社勤めで私小学校からは
東京に引越しだったんですよ。
「あの時行かなければ・・・」そういう後悔の念ってよく分かります。

私の父は、見つかった時まだ暖かかったそうです。
心停止してからあんまり時間が経ってなかったそうです。
「もうちょっと発見が早ければ」「航海に行かなければ」
「〜ならば」って起こっちゃった後にはただ空しいだけです。

父だって12月に30歳になったばかりで一月に死んだ。
見合いで一目ぼれした母と、欲しかった女の子。
死ぬのは無念だったろう。

私は今、声高に泣き、起きてしまった事に恨み言をいい
テレビで訴えつづける遺族に少し嫌悪感すらある。
気持ちを伝えたい、もうこんな事件は嫌だ、
そういう気持ちでいるのかもしれない。
でもそう言いながらその気持ちを忘れてしまった人も知っている。

父の事件も連日報道された。
我が家にもマスコミが群がった。
「あ、今○○さんの忘れ形見の○○ちゃんが玄関にっっ」
そんな報道で私の面も報道された。

何を伝えたいんだ、あんたらは??
そういう報道をするメディアにも嫌悪感。

幼かったから、あんまりよく分かってなかった。
マスコミから逃げる母を守れなかった。
葬式は盛大で、親戚がいっぱい集まって楽しかった。
けれども大きくなってからとても悲しかった。

でも人の死って運命なんだと母が教えてくれた。
「そのとき万が一死ななくても人は別の理由で死ぬ」って。
人生のろうそくって話は有名。アレみたいなものかな。

父の遺体が上がった時に写した写真がある。
まだ暖かかった父の写真。
母も私も事件後21年、未だに見る勇気が無い。
見たら泣くと思う。多分、一生皆見ることは出来ないって
母は言ったし、私も見る勇気は出ない。

悲しみを抑える必要は無いけど、愛する人を亡くした人よ、
どうか「損害賠償請求」で人の命を金にかえませんように。


「若者のエキス」
10/20

昨日は私の男祭りだった。
男祭りっていうか、単に生徒が
全部男子生徒だったってだけだけど(笑)
夏期講習だけの生徒も何故かいた。自習だって。
靴がかわいいって誉められた。
何となく心が潤った(笑)

話は変わるのだけど、サイト叩きって怖いね。
今色々HPみてると多いね。
知ってる所が叩かれてると「なるほど」と思ったり
「いやあ、それは違うでしょ」と思ったりする。

でも「嫌なら見なきゃいいでしょ」なんて言葉は通じないと思うの。
難しいなあ、本当に。荒らされるのも嫌だし。
一回掲示板荒らしにあったとき悲しかった。
すごいへこんで鬱になった。自分の何が悪いのか、
どうして荒らされるのか分からなかった。

でも「来ないで下さい」とは言えなかった。
どういう形であれ、HPを公開したなら責任が生じるから。

これからも責任あるサイト運営をしますっ。


「やる気が怖い」
10/19

人間っていつやる気を出すのでしょう。
私のやる気ってなんだ??今のところやる気を出したのは
高校入試(多少)と高校の英語の勉強(それなり)と
編入浪人時代(そこそこ)と自動車免許(まあまあ)くらい。
おいおい、就職も頑張れよって感じですが、まあいいか。

今、某君(高2)がすごいやる気です。
今まで無かったので怖いです。
すごいやる気、めちゃめちゃ振替とか入れたがります。
ちょっと面倒だけど(笑)
まあ頑張るって言うんだから手伝います。
ただねえ、その子がやる気を出すと、私より頭良くなるんだよ。
既にその子学校の先輩何かは私の手の届かない所に。
ま、ばれないように知った振りして説明してるけどね。
私も勉強しようかなあ。

日本人だってばれないように(謎)


「面白すぎる」
10/18

私は塾で微妙に講師をしています。
それで、指名制だったりするので我が子のように
小4(暫定処置)から高3までの16人の生徒を
そりゃあ目の中に入れたら十分痛いくらい可愛がっているのです。
今、高校生も普通に携帯を持っている時代ですから、
簡単な連絡に使うために、メアドの交換をしています。
ま、交換時に「えー、今時ピッチ??だせぇ」と言われますが
その度に熱くH゛の素晴らしさ、安さ、音の良さを
延々と語らせてもらっています。

さてさて、メアド交換でどれくらいメール交換をするかと言うと
それは個人個人で違うものです。私は誰でも必要があれば
メールをするのですが、生徒から・・・っていうのは本当にまちまち。

某君は、講師室でまったりしている私に「プリント終わった、
早く戻って来い」とばかりに着信入れてきたり
某君は、学校のお友達が「へへへ、これ女の名前じゃねえ?
かけてみようぜ」って悪戯する以外は連絡ないし、
某さんは「今日塾ありますか?」ってな具合だったりと
本当にみんなそれぞれです。

その中で頻繁に私にメールをくれる子が二人います。
一人は妙に軽い口調で必要事項、例えば
「明日って祝日じゃん?塾ってあるの?」とか
「現代文で使ってるワーク買いにきてるんだけど、教えて?」とか
そして必ず私が返信してあげると「サンキュー」と
イングリッシュで返してくれる子。
いやあ、楽しいですよ、こっちは。
でもね、最強に楽しい子がいます。

某君は高校三年生。
某有名(なのか?)進学校に通っている中々ナイスガイです。
彼がねえ、特に用事も無いのにメールしてくるbPです。
主に彼は勉強中「どこか分からない世界」に行ってしまうんです。
そして気づいて「あぁぁ、俺は何て事を」と後悔したり。
とにかく突拍子も無くて面白いんですが、そんな彼
今日実力テストな事に一昨日気がつきました(笑)
昨日は寝ないで勉強するって言ってた・・・。
ら、私が風呂に入っている時間(夜中一時半)に来ましたよ、
彼からの変メールが。ま、確かに「勉強に疲れたら
私は夜中まで起きてるから電話でも何でもしていいよ」
なーんて言ったりしましたけどね。
彼から「諦メール」という題名。
見たのは夜中3時だったんですけどね、私大爆笑。

メールの内容はひ・み・つ(爆)だけど、
いやぁ、楽しいなあ。


「バスケット人生<その四>」
10/15

マネージャーになってから、それはそれで辛い毎日でした。
先輩のMさんです。初めからマネージャーだったNのほうが
好きなのは分かりますが、とても差別されました。
マネージャーが出る講習会には連れて行ってもらえないわ、
必要事項も教えてもらえないわ。
でも、私は私にしか出来ない事をやろうっと思い
誰もやっていない腿のテーピングや腰のテーピングなど
変わった所のテーピングを覚えたり、練習ノートをつけてみたり
元選手という立場からみんなの事を考えて頑張りました。
私が頑張れたのはE先輩が評価してくれていたから。
E先輩は自分にも厳しく、人にもとても厳しい人でした。
そんな人が頼りにしてくれるなら・・・。

今は歌手になっているYにいじめられようと
後輩のYが嫌いでも、どんにないやな事があっても
私は三年間バスケットを続けました。

その中で球技大会でバスケをしたりしましたが、
センターじゃなくてフォワードの方が性に合っている事を発見。
いつかバスケをする事があったらそのときは頑張ってみたいな。

案外綺麗にまとめてみました。うほほー<終わり>


「バスケット人生<その参>」
10/12

無事バスケットは辞めたわけですが、
球技大会のたびに、バスケをやらされ、
しかもチームメイトはバスケ部ということで
孤独。やりたくねー、でも選ばれる。シュート→入る
こんな感じでバスケからは逃れられない中学3年間でした。

私がまたバスケをやろうかなって思ったきっかけは
中3の時、塾帰りに変態やらナンパやらいっぱい遭いまして
走って逃げている時に「あ、これだけ走れたらバスケできるかも」
そう思ったからなのです。
一緒の高校に入学したYちゃんを誘って朝海岸道路を
走ってみたり、そして高校入学後、選手としてバスケ部に入りました。

バスケ部には私を「身障者か」と罵倒してくれたせん生の娘もおり
何だか因縁を感じるものがありましたが、私なりに頑張っておりました。
大好きです、体力つくり。嫌いですオフェンスの練習。
気が付きましたよ、私。オフェンスが怖い。
ディフェンスは大好きです。守って守って、ボールをはじく。
オフェンスは・・・。身長が163センチほどだった私は
知らず知らずのうちにセンターっぽいポジショニングにつきました。
でも、センターってめちゃめちゃ激しいでしょ?無理です。

そんなある日(確か6月頃)練習中某さんが重くて
うまとびのうまをしている時に、膝から潰れてしまいました。
膝内出血。そこから怪我人生。
ドクターストップ。
バスケを辞める?いや、もう辞めたくない。どうする?
九月に選手を辞めてマネージャーとして頑張る事になりました。
<続く>


「バスケット人生<その弐>」
10/11

母にバスケットならと言われ、中1の私は入部。
ヤンキーの巣窟で、先輩はとても怖かった。
けど、何故か先輩受けは良い私。
順調に部活人生を歩んでいたみたいだったけど。

物覚えの悪い私。
運動神経が鈍いわけじゃないけど、バスケなんて初体験。
基本が分からない、先生は教えない、見よう見真似→変。
サイドキックという練習があるのですが、やり方が分からず
変な格好でやったら先生に「おまえ、身体○害者かっ」と。

私、一生忘れません。
あんな風に怒号されるなんて。
私以前に身障者を侮蔑するような発言。
彼は今、出世して教頭先生になっています。

そうこうしている内に、ヤンキーグループから脱退した私は
ありがちですがヤンキーグループから目を付けられいじめられました。
同じ部活だったため、連絡事項は教えてもらえないわ
ボールはぶつけられるわ。秋、私はマネージャーに。

私をいじめる同級生、それを聞いて怒る先輩→ミーティング(笑)
先輩も生意気な一年生を私を餌にしてリンチでございます。
しかし、先輩が引退する→一人→我慢できない
ということで退部。私のバスケ生活第一部は一年の命でした。


「秋ってだるいな」
10/10

だるいぞー!!昼過ぎに友達からのメールで起きたぞー!
はあ・・・。結構その友達は昼にメールをくれるので
それで起きる事も多いのです。ありがとう!○○!
私は君のおかげで結構人間らしい生活してるよ。

オークションで落とした「スラムダンク」を
何度も読み返しているうちに、「なぜ私はバスケ部?」という
疑問がぷーっっと湧いてきました。
私ははっきり言って文科系顔です。なのになぜ??
それは母のせいなのです。
小学校の時の私はごくごく普通の文科系子女でした。
合奏倶楽部で音楽に勤しみ、中学校に入ったら絶対吹奏楽で
パーカッションをやりたいと思っていました。

が、母が私に言いました。
母「吹奏楽に入るなら塾辞めなさい」
・・・。私は塾を選びました。

よし、じゃあ大好きなバレーボールにしよう!
全日本男子のファンだった当時の私は思いました。

母「バレーは膝を地面について怪我多そうだから駄目」
もう私には考えられる部活はありませんでした。

じゃあバスケ・・・母は承知しました。
でもね、バスケって本当に怪我の多いスポーツです。
彼女は分かっていなかったんですね。笑えます。

そうして私のバスケットボール生活が始まる。(続く)

しばらく自分のバスケットボール人生を振り返ってみます。


「とうとう始まってしまった」
10/8

ある日ネットオークションで「スラムダンク全31巻」を落札してから
毎日毎日暗記するくらい読みつづけているのですが、
昨日も読んでたんですよ。丁度豊玉戦あたりを。
そろそろ寝ようかなあって思った瞬間ニュース速報。

「アメリカは攻撃を開始」

それから4時まで、ニュース見っぱなし。
相変わらずどの番組も何を言っているか分からず。
でも「テロ報復攻撃」というより「戦争」が始まったのと一緒だ。
いやだなぁ、戦争。
自分が生きている時に戦争が起きるなんて。
いつか日本もテロ攻撃されるかも知れない。
自衛隊の人だって無事でいられないかも知れない。
どうなっちゃうんだろう・・・。


「なんでだろ?」
10/6

今日友達からメールがありました。
彼の消息がつかめたと。

彼(8/11日記参照)

なぁーーんと、まだ東京にいるとのこと。
会いたいなー、きっと私の事無視するんだろうなー。ウキウキ♪
そしてフリーターなんてしてる私の事、蔑むんだろうな〜ゾクゾク。

彼は昔私の友人と付き合っていたとき、
「関東はゴミゴミしていて嫌いだ」と言い、
いつも屁理屈をこねては友人を泣かせていました。
そう、東京には空が無いと・・・(アアン、智恵子みたいっ)
じゃあ、お空いっぱいの小樽帰れや。
と思っていたんですがね、私は。

東京に残りたいと言っていたのに
北海道に帰らざるを得なかった私の友達。
北海道に帰りたかったのに、何故かまだ関東にいる彼。
そして私は??

・・・・・。

えへっ、何で関東にいるのかな??(笑)

とりあえず、明日は私テスト補講で仕事だって事だけです。
うぅぅぅぅ(涙)


「実録、親子の会話」
10/4


「あ、もしもしお母さん?なっちゃん」
「うんうん、本届いたよ、サンキュー」
「早速ネットに載せてみたよ。たまーにチャチャ入れながら」
「でもねー、みんなちょっと涙したみたい。私作文上手いのかな?」
「いやー、我々みんなが思っているより苦労してないよね?」
「そうだね。二人で大暴れ出来るのもお父さんのおかげだね。」
「はいはい、偉いね」
「例外なく殺す」
「うははははははは」


「はい、もしもし。あ、なっちゃん?お母さん」
「本届いた?あー、本当。やったね」
「何?ネットに??あんたも好きだねえ(笑)」
「泣いた??あれ、あんだ地力で書いたやつだよね?やったんでしょ」
「ねー、母子家庭だから何って感じだよね。」
「お父さんいないのはまあ、しょうがないし、
今あるのもお父さんのおかげで、お金だね」
「一番の功労者は私だ。だって再婚しないで頑張ってるんだもーん」
「っていうか、したらあんたに殺されるけどね。」
「あははははははは」

こんな親子です。
涙を流してくれた心優しいお友達のみなさん。
大好きです、愛してます☆


「まんまる」
10/3

この間十五夜だったらしいですね。
私の家の窓からは、お月様が見えるんですよ。
夜更かししていると、月が左から右へ弧を描いて沈む。
風流な事です。


「嘘つき」
10/1

「明日に向かって」

 皆さん、お元気ですか。
私の住むここ北海道函館ではゆっくりですが
少しずつ張るがやって来るのが、日々の生活からも感じられるような
季節になってきました。

    私の父が二度と帰ってくることのない死出の旅路に
出発してしまったのは昭和五十七年一月六日、
まだ正月気分も抜けきれない日の夜のことでした。

   父の乗っている船が沈んだと、母や親戚が教えてくれたのは
覚えています。しかし、死を理解するにはあまりにも幼すぎた私は
その他の、あの日の事は全く覚えていません。

   それにしても月日の流れは早いもので、父が亡くなってから
十五年、当時三歳であった私も今春高校を卒業し、
國學院短期大学国文科に進学が決まりました。
小学生の頃から教師になることが夢で、
その第一ステップである短大に進み、
日々努力を惜しむことなく精進してぜひ実現したいです。

   この十五年という、長いようで短いような歳月は
母にとっても、また私にとってもさまざまな思いの交錯する、
筆舌に尽くし難い年月でした。しかし何事も前向きに、
そして二人で協力してやってこれたのも、父が天国から
見守ってくれたおかげかもしれません。

 私が育英会より給与された奨学金は、私の輝かしい
青春の高校生活において有意義に使わせて頂きました。

 今、奨学金を給与されている後輩の皆さんも夢を持ち、
そしてそれを実現するために頑張って下さい。

『いつか逢おうよ、父ちゃん―漁船海難遺児と母の文集―』
財団法人 漁船海難遺児育英会編 より抜粋

すごいね、この子。
読んで感動しちゃったよ。
きっと頑張り屋なんだね。
今はもう先生になってるのかな?

って、コレ私じゃん(笑)

何故本になったのだろう。
しかし何故私が選ばれたのだろう。
何故何故何故何故・・・・。
第四章の表題になってるじゃないか
何だ、この小難しい文章は!
心にも無い事書いてる

赤字は本心と自分への突っ込み

「明日に向かって」

 皆さん、お元気ですか。
私の住むここ北海道函館ではゆっくりですが
少しずつ張るがやって来るのが、日々の生活からも感じられるような
季節になってきました。

おいおい、季節の挨拶からかよ。爽やか系狙ってるのか?

 私の父が二度と帰ってくることのない死出の旅路に
出発してしまったのは昭和五十七年一月六日、
まだ正月気分も抜けきれない日の夜のことでした。

そーだねー、正月だったよね。覚えてるよ(゚-゚)(。_。)ウン(゚-゚)(。_。)ウン

 父の乗っている船が沈んだと、母や親戚が教えてくれたのは
覚えています。しかし、死を理解するにはあまりにも幼すぎた私は
その他の、あの日の事は全く覚えていません。

いやぁ、しっかり覚えてるよ。若さを強調する辺りが憎いね!同情作戦。

 それにしても月日の流れは早いもので、父が亡くなってから
十五年、当時三歳であった私も今春高校を卒業し、
國學院短期大学国文科に進学が決まりました。
小学生の頃から教師になることが夢で、
その第一ステップである短大に進み、
日々努力を惜しむことなく精進してぜひ実現したいです。

サボってたら大学落ちちゃったんだよねー。ちなみに小学の時の夢は弁護士

 この十五年という、長いようで短いような歳月は
母にとっても、また私にとってもさまざまな思いの交錯する、
筆舌に尽くし難い年月でした。しかし何事も前向きに、
そして二人で協力してやってこれたのも、父が天国から
見守ってくれたおかげかもしれません。

筆舌て、あんた。仏壇にろくに手も合わせないくせに。

 私が育英会より給与された奨学金は、私の輝かしい
青春の高校生活において有意義に使わせて頂きました。

青春ねえ、ある意味輝かしかったかな。

 今、奨学金を給与されている後輩の皆さんも夢を持ち、
そしてそれを実現するために頑張って下さい。

そうだ、夢を持て後輩諸君!!

『いつか逢おうよ、父ちゃん―漁船海難遺児と母の文集―』
財団法人 漁船海難遺児育英会編 より抜粋

そんな今の私?
ごめん、フリーター(涙)


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